あるがままに生きる

~Live there, but remain~あるがままに「いま」を生きる

○○フリー

○○フリーとは
その物質「○○」を含んでいない事を表す
ゼロやノン(フランス語)も同じ意味合いで使われているし、日本語だと無○○

【アルコール】だと使い分けとしては、
飲料だと「ノンアルコール」
化粧品類だと「アルコールフリー」

でも、必ずしもゼロではなかったり、紛らわしい物もある
ノンアルコール飲料は、アルコールが全く入っていないわけではない(0.05%~限りなく0.00%に近い量)
また、アルコールフリーの化粧品類は「エタノール(エチルアルコール)」が配合されていない物を指す

最近知った言葉【ギルトフリー】
意味は「罪悪感無く心から楽しむ事が出来る」
特に低カロリーや極力体に善くない物を使っていない食品等に用いられてるようだ

私が気を付けているのは
グルテンフリー」「アルミフリー」「ノンアルコール」
「ノンシュガー」「無添加」「無着色」
表示や広告を鵜呑みにせず、原材料や成分表をしっかり見て購入する事が、外から体内に害を入れない事になる

○○フリー・○○ゼロ・ノン○○・無○○
意識して見てみると、体だけでなく環境に対する意識も変わるかも❣️

自然治癒力

生き物には、生まれながらにしてケガや病気を治す力が備わっている

それが【自然治癒力

外傷等を負った時に治す機能や、外部から侵入してくるウイルスや細菌類と戦う機能が、絶えず作動しながら常に待機していて、自分の意識とは関係無く働く

ヒポクラテスいわく…
病気というのは身体が失われたバランスを取り戻そうとしている状態
医者の役割は、身体が持つ自然に治癒しようとする性質を助けること

現代の西洋医学は、診断により病名をつけて医薬品や手術による対処療法を行うが、それだけでは根治にはいたらない

普段から、十分な休息や必要な栄養素をとって、最大限の治癒力が発揮できる身体にしておく必要がある

私のミラクルも、マクロビオティックグルテンフリー等で身体を調えてたから起きたのだと思ってます(*^ー^)ノ♪

☆ミラクル☆

3月始めに発覚した「下垂体腺腫」
良性とは言え、やはりどうなってるのか心配でした

とにかく出来る限りの事をしました
はとむぎ・ウコン・シナモン・漢方薬サプリメント…信じて続けました

今日、3ヶ月ぶりにMRIを撮りました
ドキドキしながら診察室に入ると、先生も驚いてて「今まで例が無い、病巣事態が無くなっている」と
画像間違ってるんじゃないかって思いながら3ヶ月前のと比べてみたら、やはり無くなってる
「やったぁ(*^▽^)/★*☆♪」
やっぱり巷の療法は試してみるべき‼️

残りは左外耳道にできてる粉瘤
来月の診察までに何とか小さくなるよう、こちらも色々試してます(*^ー^)ノ♪

終活

あの痛みが始まった日から1ヶ月経った
だいぶ体力が落ちたけど、ほぼ通常の生活が
出来るぐらいまで回復した

辛い痛みの最中、
「このまま死んでもいい」と思った自分と、
「絶対あきらめずに生きてやる」と思った自分が居た
そして「○活」って言葉が巷に溢れてる中で、
ふっと「終活」って文字が頭に浮かんできた

元々は、元気なうちに身辺整理や色々な決め事をしておいて、残された者に手間がかからないようにしておく事を表現したらしいが、近年では、人生を終える時迄どのように生きるのかも含まれるようになってきたらしい

身の回りの整理をしながら、まだまだ新たな事にも
挑戦したり、やり残しや悔いの無いよう日々を生きていこう…前を向いて(*’ー’*)ノ

痛みと向き合う日々…②

2月末…
テレビの天気予報で春の嵐の予報が出ていて、
天気図の気圧配置が何となくヤバいと感じていた。

家でちょっと下を向いた瞬間、右のこめかみの上に
血管のドクンに合わせてズキンという痛みがした。
「何だろう?」と思ったけど、それ1回だったので、
その時はスルーしていた。

暫くして、また「ズキン」
時間が経つにつれて回数が増えてきた。
2日位したら、いつもの神経痛が始まったので、
「あの低気圧のせいかぁ」と思いながら薬を飲み始めたけど、いつものように効かず、痛みは酷くなっていった。

はじめの痛みが出てから10日…
我慢出来なくなり朝一で病院に行った
脳外科の頭痛外来にかかりMRIを撮ったら
さぁ大変!!単なる頭痛ではなくて「下垂体卒中」
もともと下垂体嚢胞があったんだけど、それが
腫瘍化(良性)して出血したとのこと…

数年前から食べ物・食べ方変えて、若い頃の不摂生を
浄化するべく、体には気を使ってきたけど、マジで
脳はノーマークだった(ToT)
幸い、直ぐに手術とかではないので、じっくり向き合っていく覚悟が自然と出来た。
でも、あの痛み「雷鳴頭痛」は半端ない(>д<*)
このまま死んでも良いと思った程の激痛だった。

痛み止は我慢出来ない時期に2回飲んだ。
あとは漢方薬と自然療法で徐々に回復。
痛み始めてから半月で、やっと家の中では普段通りの生活が出来るようになった。

何か有れば大学病院が付いてるので安心。
今回の事で、これからの生き方を考えた。
終活…決して早くはない、いつか終わる今を
どう生きるのか?考えることは…

この病、痛みと向き合って、前向きに歩むのみ(*’ー’*)ノ

2011.3.11…②

家族の無事、ご近所の方々の無事が確認出来た。
ホッとしたのも束の間…「さて、どうする?」

考えて行動したってより、閃くままに動いた
「安心して過ごせるって場所と食料等の確保」
先ずは避難所に指定されてる娘が通ってる小学校に行って、横になれる広さを確保した。
次にコンビニに行って、飲み水・乾電池・調理済みの食料を買えるだけ買ってきた。

その夜…
両親は足腰悪くて避難所の硬い床では無理なので、
揺れの止み間に寝具を持ち出して車の中で過ごす事にした。
娘と私は、土足で着の身着のまま、夜中に支給された毛布1枚掛けて避難所で過ごした。

停電・断水…日が暮れて暗くなってきて、余震が続き周りの情報が一切入らず先行き不安な中で、避難者同士とにかくお互いに元気付け合いながら夜を過ごした。

避難所である小学校…私の母校
本来ならば体育館で過ごす予定で指定されてたんだろうけど、超古かった為、あの揺れで立ち入れなくなった。
急遽、新設されて間もない別棟が避難所になった。
でも指定されてるのに、場所だけで、物資は何一つ置いてなかった。

暫くして…
自家発電の明かりで外から中を照らされ、順番で携帯の充電をさせてもらい、夜には菓子パンの支給、夜中にはお湯を入れて作るご飯と毛布の支給。
その内うとうとしながら横になり、朝を迎えた。

橋が通行止めになった事で、数日は水戸に行けない事を知った。
とにかく生きて行かなければと思い復興への道程を歩き始めた。津波原発事故の事を知らずに…

2011.3.11…①

あの日…
まだ雪がちらついて寒い日。

娘は数日後に小学校卒業を控えていて、
前日に中学校の制服が出来上がったばかり

私は、水戸駅前の会社で経理の仕事をしてて、
本社からの決算前監査を受けていた。

午後3時ちょっと前で、少し休憩モードだった。
その時…いやに長い横揺れだなぁと思ってる間に
あっという間に激しい横揺れに。
タバコ組で外に居たメンバーは建物から速攻逃げ、
ノンスモーカーの私と、女子事務員もう一人が
事務所内に取り残され、揺れが収まるまでデスクの
下にしがみついていた。

収まったと同時に外から「早く出て!!」の声。
取り敢えず、財布と携帯とハンカチだけ握りしめて
急いで外に出た。
事務所はタクシー車庫の2階でヒビが入り、倒壊
寸前となって直ぐに中に戻る事は出来なかった。

携帯で家に電話しても全然繋がらない。
娘はまだ学校の時間。同居の両親が心配。
水戸駅前は、停電で信号が消えて、車が大渋滞。
駅や近隣のビルから人がどんどん溢れ出てきてた。
ビルからは余震で砂煙が上がっていて、暫くは
それを呆然と眺めている事しか出来なかった。

どの位経った頃か?同僚に手を引かれて
会社のタクシーに乗せられた。
「取り敢えず家に帰りな」って声。
無事に着けるかどうか?分からないけど、私と同じ
方から来てる乗務員さんが乗せてってくれる事に。

運転のプロだけど、初めての事にあらゆる気を使い、
揺れ.壁の倒壊.道路陥没.液状化を回避しながら、
橋が通行止めになる前に私を何とか家の近くまで
乗せてきてくれた。感謝してもしきれなかった。

家の中は物が散乱している上に停電・断水・余震も
あった為、直ぐに入る事が出来なかった。
が、幸い両親は外に居たようで、けが等は無かった。
娘も下校前で校庭に避難して無事だった。

その夜から娘と、人生初の「避難所生活」が…